著者 Hisashi Oki dYdX Foundation Japan Lead
早大卒業後、欧州の大学院で政治哲学と経済哲学を学ぶ。その後、キー局のニューヨーク支局に報道ディレクターとして勤務し、2016年の大統領選ではラストベルト・中間層の没落・NAFTAなどをテーマに特集企画を世に送り込んだ。その後日本に帰国し、大手仮想通貨メディアの編集長を務めた。2020年12月に米国の大手仮想通貨取引所の日本法人の広報責任者に就任。2022年6月より現職。世界最大級のDEXであるdYdXのガバナンスをサポートしている。
日本国内では、DAO(分散型自律組織)を筆頭に、デジタル社会(Cyberspace)に対する規制を巡る議論が始まっています。デジタル社会にはしばしば「自由」というイメージが自動的に結びつけられますが、取り扱い方次第では、非常に厳しい規制が敷かれた空間に変わる可能性を秘めています。特に、実世界には存在しない「コード(Code)」が、規制の方針を決定づけるという事実には、細心の注意を払う必要があります。時代の背景は少し異なりますが、1998年に台湾で行われたTaiwan Net'98カンファレンスでLawrence Lessig氏が語った「The Laws of Cyberspace」の中には、現在のDAOに関する規制討論にも学ぶべき点が多々あるようです。
規制には4つの要素
Lawrence Lessig氏によれば、ルール違反者を罰する法律(Laws)は、規制の要素の一つに過ぎません。社会慣習(Social Norms)、市場(Market)、そしてアーキテクチャ(Architecture)も、規制を構成する重要な要素です。このうち、特にデジタル社会の規制において見落とされがちなのがアーキテクチャであり、この文脈では「コード」がそれにあたります。
アーキテクチャとは何かといえば、例えば「壁があることで隣の部屋が見えない」というのはアーキテクチャの簡単な例です。法律や社会慣習、市場ではなく、「自然な」要素である壁によって、あなたの行動が制限されます。
デジタル社会におけるアーキテクチャは、コードに他なりません。コードはコードを書く人々によって選ばれ、一方の行動を可能にしながらも、他方の行動を抑制します。
例として、1990年代のシカゴ大学では、誰もがインターネットにアクセスし、匿名でコミュニケーションを取ることができました。これに対して、ハーバード大学では、インターネットにアクセスするためには、ユーザーのパソコンが大学からのライセンスを得て、事前に承認される必要がありました。インターネットへのアクセスは常に監視され、匿名での会話は許されていませんでした。つまり、シカゴ大学はインターネットのアーキテクチャを採用していたのに対し、ハーバード大学はイントラネットのアーキテクチャを採用していたと言えます。両者の基礎となるプロトコルはTCP/IPで同じですが、ハーバードのネットワークは監視のための権力を追加するプロトコルを組み込んでいたと言えるでしょう。
重要な認識として、コードは自然に「与えられたもの(Given)」ではない点があります。そこには必ず政治的な判断が伴います。シカゴ大学もハーバード大学もそれぞれの運営側がどのアーキテクチャを選ぶのか判断しました。政治的意志が、言論の自由であるか、言論統制であるのかの議論の前に、アーキテクチャの選択が重要になります。なぜLawrence Lessig氏がこの点を強調するのかというと、過去にアメリカ合衆国の最高裁判所が、デジタル社会のアーキテクチャの選択を「与えられたもの」とみなした判決を下したからです。
「特にこの分野の規制について考察する評論家や法律家たちが犯している最大の過ちは、実は最高裁判所が犯した過ちと同じです。それは、サイバースペースにおいても自然主義が適用可能だという誤解です。私たちが今持っているアーキテクチャが不変のものであり、将来も変わらないという考えの誤り、この空間が自由を保障し、圧制的な政府を必然的に無効化するという考えの誤りです」
デジタル社会を規制するということは、法律、社会規範、市場、そしてアーキテクチャの4つの側面から総合的に考えることを意味します。特にアーキテクチャの側面には注意を払う必要があります。なぜなら、デジタル社会においてアーキテクチャに該当するコードが、あたかも「事前に与えられたもの」として誤解される危険性があるからです。コードの選択は政治的なものであり、すでに政府との交渉は始まっています。
※ 上記はdYdX Community JapanのWeekly DAO Reportを要約・編集したものです。