ビットコインのパイオニアであるハル・フィニー氏はビットコイン創設者のサトシ・ナカモトであるかどうか。その議論に一石を投じる新たな証拠が出てきた。それによれば、サトシ・ナカモトがメールを返信していた時刻に、フィニー氏は10マイル(16キロ)のマラソンレースに参加していたという。

フィニー氏はコンピュータ科学者であり、2014年8月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)の合併症で亡くなっているが、その死後もなおビットコイン創設者のサトシ・ナカモトではないかと噂されてきた。

彼はサトシ以外で初めてビットコインのソフトウェアをダウンロードし、実行した最初の人物であり、ビットコインの最初の受取人でもあった。フィニー氏は2014年に死去するまで自身がサトシであるという説を否定していた。

ビットコイン保管サービス「カーサ(Casa)」の共同創設者であるジェームソン・ロップ氏も、この説を信じていない。ロップ氏は10月21日のブログ投稿で、この説に疑問を投げかける新たな証拠を公開した。

マラソンしながらメール?

ロップ氏の証拠は、2009年4月18日の土曜日にカリフォルニア州サンタバーバラで行われた10マイルのマラソン大会に関するものだ。このマラソン大会のデータによれば、フィニー氏は「サンタバーバラ・ランニング・カンパニー・シャルドネ10マイラー&5K」に参加し、太平洋標準時で午前8時にスタートし、78分でゴールした。しかし、このマラソン大会は、サトシと初期ビットコイン開発者であるマイク・ハーン氏との間のタイムスタンプ付きのメールを行った時間と重なっている。

「初期ビットコイン開発者であるマイク・ハーン氏がこの時間帯にサトシとメールのやり取りをしていたことがわかった」とロップ氏はハーン氏が過去に公開したメールアーカイブに基づいて説明する。

「これらから何を判断できるのか?サトシは午前9時16分にマイクへメールを送った。これはハルがゴールラインを越える2分前だった」。

「ハルが走っていた1時間18分間、彼がコンピュータを操作していたとは考えにくい」とロップ氏は付け加えた。

Hal Finney pictured running the 10 mile race on April 18. Source: PhotoCrazy

ビットコイン取引

一方、ロップ氏は、彼の主張をさらに裏付けるオンチェーンのデータを強調した。ハーン氏とナカモト氏のメールによれば、ナカモト氏は特定の取引でハーン氏に32.5BTCを送った。ロップ氏は、この取引が11,408ブロックで行われ、午前8時55分のカリフォルニア時間、つまりフィニー氏のレース開始から55分後にマイニングされたと指摘した。ナカモト氏はこの取引を確認し、別の50BTCの取引も含めて午後6時16分のメールで確認した。

ロップ氏は、このビットコイン取引がフィニー氏がまだ走っている間に行われた点を改めて指摘している。

健康問題

さらにサトシがコードの作業を行い、さまざまなフォーラムに投稿していた時期は、ハル・フィニー氏がALSとの闘病でキーボードの使用が困難になっていた時期と重なっている。

ロップ氏は、フィニー氏の元妻であるフラン・フィニー氏の2010年8月22日の投稿を引用し、フィニー氏の1分間に120ワードを打つタイピング能力が失われていったことを指摘する。

同時期、サトシ・ナカモトは4回のコードチェックインを行い、2010年8月14日から15日の間にさまざまなフォーラムに17回投稿していたとロップ氏は語った。

ロップ氏はまた、フィニー氏の再利用可能なプルーフ・オブ・ワークコードとオリジナルのビットコインクライアントコードとの間にいくつかの違いがあることにも言及した。

しかし、ロップ氏はこれらの証拠に対する異議がある可能性も認めた。

ハーン氏はメールを2017年に公開したが、これはメールから7年が経過しており、ビットコインのスケーリング方法についての意見の相違から他のビットコイナーが彼を信用しなくなった時期でもあった。フィニー氏がメールと取引を事前にスクリプト化していた可能性もあるし、サトシ・ナカモトは複数人であった可能性もあるとロップ氏は語った。

しかし、ロップ氏はビットコインは単一の開発者から来たものだと主張している。「私がサトシを研究してきた中で、それがグループだったと示す証拠は1つも見つけられていない。もしグループだったとしたら、彼ら全員が同じ睡眠スケジュールを守り、コードのコミット、メール、フォーラムの投稿に一貫性を持っていたということだ」。

翻訳・編集 コインテレグラフジャパン