「『嘘は最後の自由』であり、嘘をつくから私たちのプライバシーが守られる」

『さよなら、インターネット――GDPRはネットとデータをどう変えるのか』など、欧州の「一般データ保護規則(GDPR)」に関する著作などをもち、現在は独ベルリンに住むメディア美学者の武邑光裕氏。「これからはプライバシーを人権として認め、自分自身でプライバシーを守っていく社会になっていく」と予想する。

自分自身でプライバシーを守ることと「嘘をつくこと」はどのように関係するのか。仮想通貨やブロックチェーンが普及することとプライバシーはどう変化していくのだろうか。

プライバシーパラドックス

私たちは日々スマートフォンを使う中で、グーグルに位置情報をトラッキングされている。これは、物理的な世界で言えば、誰か知らない人が常にずっと追いかけてくることに似ている。物理的な世界で知らない人が自分の後ろを常についてくるとしたら、こんなに怖いことはないだろう。しかし、グーグルのトラッキングのように、オンラインで追跡されること、つまりプライバシーを気にする人は少ないのではないだろうか。

さらにオンラインのプライバシーは、世界がネットワークで繋がることによって個人の問題ではなくなってきている。武邑氏は「人々は、オンラインのプライバシーに関して、物理世界のプライバシーと同等の危機感や価値観を持っていない。プライバシーを守りたいと思いながらも、オンライン上では個人情報を差し出している。この『プライバシーパラドックス』が今の世の中で重要なテーマだ」と指摘する。

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プライバシーパラドックスを考えるときに気をつけなければいけないのが、利便性や懸念点だけにとらわれないことだ。私たちはオンラインでリコメンドされる情報である「利便性」のために個人情報を差し出している。しかし、武邑氏はこうした利便性がプライバシーパラドックスの本質ではないと話す。

「重要なのはプライバシーが自己決定権であると認識することです。自分で決定し、自分で守る。そしてこれは極端な話、『嘘をつく(自ら偽装する、暗号化する)こと』によって成立するのです」

今の社会は真実がほとんど見えなくなってきていると話す武邑氏。それは米国のトランプ大統領選であったように、自分自身の意志をメディアに対して「嘘をつくこと」によって守るという現象が見られたことにも現れた。

当時は多くのメディアがウェブを通じ、ヒラリー陣営の優勢を伝えていたが、大手メディアのほとんどが予想を覆された。有権者はメディアに嘘をついたのか? メディアに対して、自分たちのプライバシー、「ヒラリー氏を支持する」という嘘をつくことによって「真実」を守った事例かもしれない。

長い間、物理的な世界で考えられてきたプライバシーは、オンラインやサイバー空間の普及によって大きな概念の変化が起きている。

嘘は最後の自由

こうした概念の変化について、武邑氏は「嘘をつくこと」の可能性を強調する。

「嘘をつくことは自分自身で決定できる方法。ポスト・トゥルース社会とか言われている中で『嘘』自体が重要な自己決定権になってきています。誰もがデータは嘘をつかないという幻想をもっていましたが、今や政府が公文書データを改ざんする時代です。だから同時に、秘匿されるプライバシーや秘密保持を断念し、透明性と開示による「脱プライバシー」社会を求める機運も高まっています。」

データ社会が進み、個人情報を扱うビジネスも誕生している。私たちは情報を管理するエージェントを信頼するかどうかを判断しなければいけない。もし信頼できるかが判断できない場合に、自分のデータやプライバシーを守るために嘘のデータを提供することが増えていくというのだ。いわゆるフェイクデータが量産されていくことになる。

武邑氏はこのフェイクデータが自分のプライバシーを守る手段になるという。ユーザーが無意識のうちにこうした防御手段を持つようになると、世界中のデータを扱う企業にとって脅威になるだろう。

「嘘をつくことは悪いことだという風潮があるが、私は『嘘は最後の自由』だと思っています。価値観や真実はそれぞれ個人の中にある。嘘をつくという自由があるからプライバシーを守ることができる。暗号が真実を匿うことの手段なら、嘘という手段のひとつである『暗号』が重要となるのです」

ではこの嘘を嘘と証明し、真実を見極めるためにはどうすればいいのか、そこで必要になってくるのが暗号とブロックチェーンだ。個人のデータやプライバシーに関するデータをどこか情報を管理するエージェントに預けることになった場合にはブロックチェーンを駆使する以外に信頼する方法がない。

ピュアなデータが嘘をつく権利と両立する

みんなが嘘をつくと、個人の嘘のデータが世界の中で蓄積されていく。そして本当に信頼できる企業にのみ自分のデータを提供するという行動が生まれてくるかもしれない。

すでに嘘が世の中に増産されている社会にあって、嘘がない真実性に即した「ピュアデータ」の価値が高まっていくという。信頼できるコミュニティーの中でだけ仮想通貨を使う、コミュニティ・ドリブン・ブロックチェーンが生まれてくる。現実にそうした事例がEUでは出てきていると武邑氏はいう。

ピュアなデータと嘘をつく権利は相反するように思える。しかし、この二つがあるからこそ、プライバシーが守られていくという。

「この二つ(ピュアデータと嘘をつく権利)は両立していきます。将来的に信頼できないデータ機関には嘘をつくことで、防衛するのです。嘘をつくことは自己決定権であり、自己防衛権だからです」

真実を伝えると言っているメディアが嘘を真に受けて報道してしまったように、信頼できないデータ機関に対しては嘘をつくことで防衛をすることになるからだ。

社会はフェイク・ソサエティーに近づいていく

「今まで、世の中の経済や政治、メディアの流れに無力だった個人が、戦略的に嘘をつけるようになることで無力でなくなるのです」

世の中に登場したフェイク・ソサエティーやディープ・フェイクという方法論が限りなく真実に近づくと武邑氏は見る。

「人間の意識は寝たら途切れるが、インターネットの世界では情報は消えない。嘘もそのまま存在し、事実になっていく。今日の真実は明日の嘘になっているかもしれないのです。プライバシーパラドックスから演繹されていく1つの命題というものに今直面しているのでしょう」

今後の世界はただ利便性を求める社会になるのか、暗黒監視社会か、それとも透明性と開示に基盤を置く「脱プライバシー」=善なる監視社会が待っているのか。真実がプライバシーに埋め込まれる社会になるのか。

武邑氏は「価値観や真実はそれぞれの人の中にある。昔はFactもFakeもすべてがFictionだった。近代になり、メディアが唯一真実を伝える機関だという脅迫観念が生まれたことで、僕らは真実を外部化してしまった。それが今は完全に崩壊して真実がプライバシーの中に埋め込まれる時代に突入している」と話した。

文:Yoshihisa Takahashi
編集:コインテレグラフ日本版