パリティ社がイーサリアム改善案「EIP-999」への投票を募ったことが、イーサリアムコミュニティのなかで論争を呼んでいる。EIP-999は、マルチシグウォレットに保管されている資産へのユーザーのアクセス権を回復させることを提案していた。おまけに、ヴィタリック・ブテリン氏は、EIP-999を扇動的に報じたことを理由のひとつとして、コンセンサス2018をボイコットするよう呼びかける事態にまでなっている。

 事の発端は、17年7月にパリティがハッキングされて、15万イーサリアム(ETH)が失われたことだ。パリティはコードの脆弱性を修正したのだが、今度は新たにデプロイされたスマートコントラクトコードに別の脆弱性があったことがわかった。これが偶然パリティのユーザーに利用されて、17年11月に、587のウォレットに入っていた51万3774を超えるETHが凍結されてしまった。

改善案の中身は?

 これを受けて、パリティはEIP-999を提出。その大まかな理由は、ギットハブで説明されている。

「イーサリアムのプロトコルは、自己破壊されたコントラクトの回復を許さず、被害を受けたユーザーや企業が自分たちのトークンとイーサへのアクセス権を取り戻すのに、他に簡単な方法がないため、この提案が必要である」

 提案を実行するかどうかについての投票は、4月17日から4月24日まで行われた。その結果、過半数の55%が反対、39.4%が賛成、そして5.6%がどちらでも良いと投票した。

 ここで覚えておくべき点が2つある。まず、51万3774ETH(直近の価格では約445億円に相当)は失われてもいなければ盗まれてもいない。本来あるべき場所、つまりパリティのマルチシグライブラリに保管されている。問題は、コードの脆弱性により、それらの資金へのアクセスが破損してしまったということだ。

 第二に、EIP-999はイーサリアム・ブロックチェーンのハードフォークを実行しようというのではなく、「ウォレットライブラリのパッチ版」(コントラクトのソースコードへのパッチ)によって、ライブラリに依存しているマルチシグウォレットの所有者が凍結された資金へアクセスできるようにすることを提案していた。

 なぜハードフォークの話が出たのかというと、イーサリアム・ソフトウェア会社最大手のゲス社とパリティ・テクノロジーズ社が、EIP-999の実施に関して相反する考えを持っているのではないかと見られていたためだ。ゲスはイーサリアムの多目的コマンドラインツール、パリティ・テクノロジーズはイーサリアム・ブロックチェーンとやり取りできる人気のクライアントである。

 だが、その後ゲスの開発者であるピーター・シラーギ氏が自らの立場を直接ツイッターで明確にし、パリティ創立者のジュッタ・スタイナー氏とギャビン・ウッド氏も、パリティ・テクノロジーズのブログ投稿で、イーサリアム・ブロックチェーンの分裂を招くつもりはないと書いたため、この心配は払拭された。提案されたアップデートは否決されたが、それを取り巻く論争はいまだにくすぶっている。

論争的な投票

 投票自体も、議論の的になっている。投票方式に問題があったという指摘が多く出されているのだ。ここで採用されたコイン投票という形は、イーサリアムのユーザー1人につきひとつの投票権が与えられるのではなく、投票者が所有しているETHの額によって投票の重みが変わってくる。

 つまり、ETHを多く持っているユーザーほど明らかに有利で、投票の方向性に影響を与えることができる。普通なら、これはさほど問題ではない。というのも、全ての投票者が同じ資産を所有しているため、論理的に考えるなら、自分の権利の大きさに関わらず、全員がその資産を守るような活動方針を選択するはずだからだ。

 この場合、投票するということは、一定額のETHを移動させるのではなく、単にイーサリアムのアカウントからメッセージに署名するだけなので、パリティライブラリに資産を凍結されているユーザーも投票することができる。

 蓋を開けてみると、最も影響を受けてた企業のひとつは、パリティの共同創立者であるギャビン・ウッド氏が所有するブロックチェーン・スタートアップのポルカドット社だった。51万3774ETHの凍結を許したコードの脆弱性は、最終的にはウッド氏の責任でもある。

 そのため、ポルカドットはパリティライブラリに凍結されている約30万6000ETH分という巨額の権利を使って、ギャビン・ウッド氏がパリティを通じて出した提案に賛成票を投じたのだ。これが、多くの人々に不快感を与えた。EIP-999はパリティウォレットだけにパッチを加え、その創立者は多大な恩恵を受けるが、より広いイーサリアムコミュニティ全体には何のメリットもないのだからなおさらだ。

 あるレディットのユーザーが、気づいた点を書き込んでいる

「ギャビン・ウッド氏は、ポルカドットとパリティの両方の創立者であるため、明らかにこれらの資金を回復したい金銭的理由がある。このコネクションのせいで、人々はEIP-999が可決されることでパリティが金銭的に何らかの得をするのではないかと考えているのだと思う」

 実際、今回の騒動には関係していない一部のETH所有者は、50万あまりのETHが凍結されたままの方が、自分たちのETHトークンにある程度の希少価値が出て、価格上昇につながるかもしれないと期待している。

 多くのコミュニティメンバーは、EIP-999そのものには反対していなかったが、投票することに抵抗を感じており、これが可決されればブロックチェーンネットワークの不変性が損なわれるだろうと主張していた

「だが、肝心なのはそこだ。パリティのマルチシグライブラリは、自律エージェントとして、プログラミングの一文字一文字まで正確に実行し、自己破壊を命じられた時にはそのようにした。それを覆すには、それが生み出されたルールの外で、自律エージェントという状態に介入しなければならない。

これはまさに、イーサリアムとブロックチェーン全般が回避しなければならないことだ。一つのブロックチェーンに「君には文字通り一つの仕事しかない」という状況なのだ。ブロックチェーンが自分たちの状態に未許可で介入してきたものを阻止しないなら、スマートコントラクトはアマゾンのクラウドサーバーにでも置いて時間と金を節約したほうがよっぽどましだ」

 開発者に欠陥コードのアップデートとパッチを許してしまえば、ブロックチェーンの非中央集権的という性質に影響し、誰か個人が自分の望まない取引を覆すことのできる力を持ってしまう。

なぜ「ノー」なのか?

 過去には、DAOのハッキング問題で最終的にイーサリアム・ブロックチェーンの分裂が起こったという先例がある。資金を正当な所有者に戻すことに賛成だった人々と、コードは法律であり、それがネットワークの不変性を確実なものにすると固く信じる人々が対立したためだ。後者は元のイーサリアム・ブロックチェーンを使い続けることを選択し、それをイーサリアム・クラシックと名付けた。

 ここで気になるのは、なぜDAOの投票は可決され、パリティは否決されたのかという点だ。個人個人の投票理由を知るのは不可能だが、一部の人々は、今回の改善案がポルカドットの資金を取り戻すためだけに設計されたものではないのかと感じている

「ただ単に、自分たちの資金を取り戻したかっただけだ。ここで資金を失ったのが他の会社であれば、同じように扱われたとは、今でも思っていない」

 それがイーサリアムのエコシステムを守るものであるかどうかによって、決断は変わってくるという見方もある

「ごくごく簡単にかみ砕いてみよう。イーサリアム・ブロックチェーンのエコシステム、ひいてはその全体の未来と成長は危険にさらされていたのか。DAOの場合、答えは『イエス』だった。そのため、イーサリアムのプロトコルとエコシステムを守るためにハードフォークを必要とした。だが、パリティの場合は『ノー』だ。だからハードフォークは必要なかった。イーサリアムのプロトコルもエコシステムも、危険にさらされてはいなかった」

 最後に、もし提案が可決されていたら、他にも過去に自分のせいではなくハッキングや欠陥コードのせいでETHを失った人々から、同じような解決法で資金を取り戻してほしいというリクエストが殺到することが考えられる。

 イーサリアムコミュニティのオンライン掲示板で、あるユーザーが以下のようにコメントしている。

「この変更を加えれば、これと同じような要請をこれからずっと見直し続けなければならなくなる。そんなことになれば、全ての人のためのテクノロジー向上への取り組みに集中できなくなる。資金を回復させるEIPの議論ばかりするようなプロジェクトに成り下がってしまえば、イーサリアムは貢献してみたいオープンソースプロジェクトとしての魅力を失い、新規の貢献者が寄りつかなくなるだろう」

 さらに、未来のプロジェクトに携わる開発者も、何か間違いを犯しても今回のような投票で救われるだろうと油断して、コードに気を配らなくなる恐れがある。

 個々の立場はどうであれ、EIP-999はこの業界の2つの基本原理である平等主義と不変性が真っ向から対立したことで、イーサリアム、ひいてはブロックチェーン全体の歴史において重要な分岐点となったようだ。

 少なくとも今のところは、平等主義が不変性を救うために戦い、両者ともに勝利したというところだろうか。